「一の谷の戦い」
「一の谷の戦い」は文政 6 年 (西暦 1823 年) のものです。幅 166 センチほどで、絵の左端に「文政六年 癸末歳 仲冬吉辰 (みずのとひつじどし ちゅうとうきっしん)」と書いてあります。癸末は、文政 6 年の干支。仲冬は中冬で、旧暦の 11 月、吉辰は日と同じで、めでたい日、縁起の良い日という意味です。右下に「寿山画 (じゅざんえがく)」とあり、この絵を描いたのが寿山だというのです。
中ぼと下に「栄徳丸船中 (えいとくまるせんじゅう)」と書いてあるのが奉納した人です。船中は船の人みんなということで、つまり栄徳丸の乗組員全員でお金を出して奉納したということです。
絵に題はありませんが、800 年ほど前の寿永 3 年 (西暦 1184 年) 2 月にあった源氏と平家の「一の谷の戦い」であることはすぐにわかります。
右が源氏方の熊谷直実 (くまがいなおざね)、左が平家方の平敦盛 (たいらのあつもり) です。
平家方が陣どっていた一の谷は今の神戸市須磨区の西の方にあり、けわしい山と海に囲まれた難攻不落の陣でした。源氏方は西と東から攻めにかかり、平家方がそれに防いでいると、源氏方の一方の大将・源義経 (みなもとのよしつね) 達が急な坂を馬で走りおり、後ろから平家の陣に攻めこんだのです。平家方はあわてて船に乗り海に逃げました。この絵は、その時なぜか逃げおくれた敦盛を、直実が見つけ「返せ、返せ」戻ってきて戦え、と扇 (おうぎ) を招いて、呼び戻しているところです。
(島根町誌 (昭和 62 年 : 島根町教育委員会発行) より抜粋)