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加賀の新潜戸

加賀の新潜戸

加賀湾から向かって北に神崎という岬があり、そこに加賀の潜戸はあります。
潜戸は二つの洞窟からなり、海の洞窟を「新 (神) 潜戸」、陸地から見える洞窟を「旧 (仏) 潜戸」と呼びます。新潜戸は三つの入り口を有する海中洞窟で、全長 200m 。
洞内は広く、波のおだやかな時には海の底が透けて見えます。
長年の侵食でできた潜戸は、昭和 2 年、国指定名勝及び天然記念物に指定されています。

加賀神潜戸


出雲国風土記 (天平五年 :733 年) によれば、出雲四大神の一人佐太大神 (さだのおおかみ) の誕生の地といわれています。昔、むかし、神代のむかし、出雲の祖神神魂命 (おやかみかもすのみこと) の娘神キサカヒメ命という神様が、子供を産むのに良い産屋はないものか、と高い所からあちらこちらと探しておられました。

「あっ、あそこに良い産屋がある」と加賀の神崎の岬にある岩穴を見つけ、ここを産屋と定めて佐太大神をお産みになり ました。
お産まれになろうとする時、母神が大切にしていた弓箭が波にさらわれて流されてしまいましたが、母神は「私の御子が 麻須羅神 (まさらおしん) の御子であるならば、失せた弓箭よ出でこい」と祈念されました。すると、波のまにまに、角の弓箭が流れてきましたが、生まれたばかりの御子は、吾が弓箭にあらずと投げ捨てられました。
母神がなお一心に祈念なされると、こんどは金の弓箭が流れてきました。御子は、まさしく吾が弓箭と取上げ「闇き窟かな」と申され金の弓に金の箭をつがえ射通されました。
金の弓箭で射通された東口から光りが差し込んで明るく輝いたため「ああ、かかやけり」と申されたのが、ここ加加の地名のはじまりで、神亀三年、加賀と改められました。
射通された金の箭は、東の岩戸を射抜き、勢いあまって、沖の島まで射通し穴があき、これを的に弓のけいこをされたので、この島は的島 (まとじま) と呼ばれています。
夏至の頃、神潜戸に早朝お参りすると、的島あたりから昇る朝日の光は、一直線に洞内に射し込みまさしく光り 「かかやく」感動的な一瞬を演出します。はるか神代を偲ばせる神々しさです。
神潜戸の西口から入ると、すぐ左に白木の鳥居の建つ平らな岩があります。
これは誕生岩と呼ばれ、大神のお生れになった 場所でありキサカヒメ命をお祀りした潜戸大神官のあった場所といわれています。
北門 (北の入口) があいているため、洞内は明るく水深八メートルの海底の石が手の届きそうなくらい近くに澄んで見えます。射抜かれた東口から出ると、錦が浦と云われ、象岩 (ぞういわ)、烏帽子岩 (えぼしいわ)、亀島 (かめしま)、お祓い島 (的島)、屏風岩 (びょうぶいわ)、千畳敷等々多くの島々が神代のロマンを秘めています。

小泉八雲など数多くの作家がここ潜戸を訪れています。

 新潜戸 西の入り口
新潜戸 西の入り口


 潜戸内から見る北と東の入り口
潜戸内から見る北と東の入り口


 お祓い島(的島)
お祓い島(的島)


 加賀の潜戸へは観光遊覧船で
加賀の潜戸へは 観光遊覧船

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と潜戸

明治時代の文豪と称された小泉八雲は 1891 年 9 月、念願だった潜戸訪問を果たします。1894 年に出版された「知られぬ日本の面影」には、八雲が妻のセツとともに自宅から人力車と舟、徒歩で潜戸を訪れた際の道中の風景やそこに暮らす人々の印象が描かれています。


「これ以上に美しい海の洞窟はそう考えられるものではない。海は、この高い岬に洞穴を次々にえぐると、まるで偉大な建築家に似た手腕で、そこに肋骨状の骨を彫り、穹稜 (きゅうりょう) の股を刻み、その巨大な作品に磨きをかけた。入口の円天井は高きは水面上二十尺はあろう、また幅は十五尺はあろう。彼の舌はこの穹窿の天井や壁を何億回何兆回と舐めて、ついにこのような滑らかな岩肌を磨きあげたのだ。」


小泉八雲著〜知られぬ日本の面影〜より


島根町には、八雲の他にも志賀直哉 (大正三年来遊)、島崎藤村 (昭和二年来遊)、松本清張 (昭和五十一年来遊) などの 作家が訪れ、田辺聖子の小説「いま何時 ? 」では潜戸が舞台のひとつとなっています。


誕生岩と鳥居

出雲国風土記に「加賀の神埼、即ち窟 (ほこら) あり一十丈ばかり周り五百二歩ばかりあり。東西北に通れり。いわゆる「佐太大神 (さたのおおかみ)」の産生 (あれ) ました処なり」とあります。そうしたことから母神の「支佐加」比売命 (きさかひめのみこと)」の社が誕生岩の上に建てられていましたが、大波の時に流されてしまったため、加賀神社にお祀りし、現在は鳥居だけが残されています。

お乳の水

西戸の入り口の天井から水の雫がぽとりぽとりと落ちていて「お乳の水」と呼ばれています。お産をして乳のでない女性がこの雫を受けると乳が出るようになると云われています。


「お乳、乳岩、乳房石」
北戸と東戸の中間辺りの天井に乳房の形をした大小二つの石が垂れ下がっています。この乳房石から落ちる雫を女性が受けて乳の出を願うものです。